若いうちにやっとくべきこと

ameblo.jp

僭越ながら同窓にて旧知の教育評論家おおた氏の短文にいい事書いてあった。若い時に聞いても意味がワカンナイんだろうなあとも思うが、全くその通り。汗臭い思い出も甘酸っぱい思い出もそれぞれ糧として後には得られないほど貴重で大きい。微妙に老害ゾーンに入りつつある私のソフトウェアの仕事を振り返っても、説く内容について美しさが数段落ちるが構造は似ている。コードは汗臭く、カネは甘酸っぱい。

浪人したり留年したり長く親のスネをかじってて毎日ダラダラしていた学生時代、1995年初夏に就活終わった後でやってみた人生初のアルバイトがいきなり連結会計パッケージ開発だった。学校で会計を学んでいたので連結会計ならばともかく、プログラミングの方がわからない。それでも朝から晩まで貪欲に知識を吸収しながらひたすら書き続けた。ビジネストラストのWikipediaで沿革に残る1995年から96年にかけての行は、期間にして一年にもならないけど、20年以上経った今でも鮮明に覚えている。初めて触ったVisualBasicから繰り出す稚拙なロジックで会計なのにRDBMSも使わず(=使えず)に書き、ウィザードの初期名「Form1」を残したまま何十もの画面をひたすら作った。リリース後、クライマーズ・ハイが悪い作用をして就職を断りまたダラダラする。あまりに酸っぱくてその後すぐにDelphiに走り、偶然が重なりニフティサーブのBBSでFDelphiを作ったところから結局のところ現在まで繋がってる。技術もコミュニティも面白くて、のめり込むうちに気がついたら人脈ができ、連結大王で貰ったカネとでグルージェントを起業した。それまでまともに会社勤めた事がなかったけど、起業の後は切羽詰まった資金繰りでカネの事を考える毎日で、辛いも甘いも黒いも白いも様々な経験ができた。

起業して5年も経った時、ヒトでもめてカネにいろんな事があって、解決策として旧恩を頼りビジネストラスト(すでにデカくなってて、連結大王のファーストコードは書き直されて残ってなかった)にグルージェントを売った。ヒトの問題を解決し、程なくしてITバブル後の混乱も収まったのでカネ面でも安定し、そのおかげで余裕もでき、たまたまFDelphiの縁が蘇ってSeasarファウンデーションって言うコミュニティを作った(私の目線ではSeasarはFDelphi2.0)。Seasar傘下で、MayaaというJavaフレームワークを書いた。経産省未踏ソフトウェアに応募して開発人件費(実は15百万円/年)の支援が得られたのでそれこそ仕事として朝から晩まで書いてた。この辺はリアルタイムにずっとこのブログに書いてたので、読み返せば今でも土臭い感じで恥ずかしい。が、貴重なプログラミングの加圧トレーニングとなってた。その後、SeasarファウンデーションからOSS繋がりとして知己を得たサイオスへビジネストラストに無茶言ってグルージェントの株式を転売してもらって、サイオスでは役員になった。自己流で社内の空気と資金繰りだけなんとかしておけばいいそれまでの経営と違って、予算立案とか中期経営計画とか大学の教科書でしか読んだ事ないのが連続して求められる。初めは何度か失敗もしたが、小僧でも自分で会社何年もやってりゃ筋力ついてる。なんとかなった。

その後、グルージェントのビジネスモデルを大改造してSaaSサブスクリプションの会社にしたり、アメリカに4年行き、FDelphiを一緒に作った新井氏と20年ぶりの合流でまた会社作ったり、色々やってきての今。おおた氏が説くように汗臭い思い出があればなんとかなり、甘酸っぱい思い出があれば身を持ち崩さない。技術トレンドがどんどん変わってもなんとか追いつけるし、経営でも今後そうそうドブ板を踏み破ることはないと思う。

技術者人生早いうちに一年ぐらい朝から晩までひたすらコード書く時期があったら、35歳過ぎても大丈夫だよ。そして若いうちから少々でも仕事でカネにまみれて清濁知れたら、年取ってから少々権限増えて忖度に囲まれても、浮ついて滑稽なことになったりはしない。