-本願寺

浄土真宗は妻帯できるので、親鸞の子孫が存在します。現代日本の僧侶は総じて結婚できますがこれは明治時代になってからで、それ以前は普通、僧侶には子供がいません(いる場合は、出家前に結婚してたり、こっそり、など)。親鸞が没して後その子孫はどうなったかというとしばらくは相当没落していたみたいなんですね。浄土真宗の宗派そのものは親鸞の血統でなく、弟子による法統によって継承されていて、がんばって布教していたみたいです。しかし血統派閥の本願寺は没落していた。当時は興福寺延暦寺などといった数百年の歴史を持つ大寺院が貴族や高級武士の次男を支配者(門跡と言う)に据え、経済基盤たる荘園も独自の兵力である僧兵も持ってそこらの大名以上クラスの影響力でガツガツしてますから、新興の伸びる余地はもともと無かった上、民衆受けのいい浄土系に対しては宗派として目ざわりとしてヤクザの殴りこみみたいなことを繰り返しています。そんな中、宗旨が絶対他力で念仏するだけでいいという、病人や女性子供にも優しい万民向けとも言える宗派ですから、まあ、発展するわけがないのです。親鸞自身、門跡たちがコネで政治的に動いたため、幕府朝廷からも弾圧を受けて流罪になっちゃってたりしてます。そんな中、8代目の蓮如という人が、はじめから盛り上がってなかった本願寺をデカくします。
蓮如は講と呼ぶ(講は集会を意味する当時の一般用語ね)浄土真宗門徒の集まる会を催していきます。また、民衆向けにわかりやすく宗派や仏教基礎知識などを伝える御文という手紙形式の文章をたくさん書きます。いまの福井県に吉崎御坊という拠点を定め、いまの京都府に山科本願寺、いまの大阪府には石山本願寺を定めます。それらの拠点は戦国の世の中ですから物騒で、かつ宗派が弾圧されていますから、自衛のためにもお寺の中に町を作って寺内町となっていくわけですね。実際、山科本願寺日蓮系の焼き討ちでつぶれています。大坂城の前身たる石山本願寺山科本願寺が焼き討ちされた経験より防備をこらし、戦国最大とまで言われる、まさに城となります。ほかに無い血統カリスマを持ってる本願寺は統制がよく取れていて、諸条件が整うとまさに戦国最強、信長と和睦するまで一向一揆を指導して広域で勢力を持ちます。加賀国(いまの石川県、吉崎御坊からは国境をはさんではいるが近く)なんて「百姓の持ちたる国」といわれる一向一揆支配を約100年継続しました。


さて、そこでSeasar本願寺説。基本的に大乗OSSな指向の羽生さんと、ひがさんで立ち上げる中、以下の条件が満たされています。

  • 2004年までは盛り上がっていない。実は2000年ぐらいから歴史はある。
  • 2004年4月にイベントを開催。以来、勉強会や宴会を繰り返し開催する。ついには2006年5月に規模の大きなカンファレンスを主催。
  • 雑誌に継続的にSeasarが出るように羽生さんが書き続ける
  • 創始者たるひがさんはカリスマ的アーキテクスト

私は寺内町を作るために2004年11月から招聘された途中参加組なんですが、NPO法人化と理事会指導体制という幻想を築きました。

  • 理事会による統制

統制なんてできてないし目的でも無いけど、他のコミュニティに比してならよく統制されているといえるんじゃないかな。まあ、これが過度に誤解されて嫌われているところもあると思いますけどね。
翻ってOSS総論とすると、カンファレンス(講)と記事(御文)は相当効き目があるんじゃないかなということです。あとカリスマの存在。カリスマは講に人を呼べる。講にあたるものは実は宴会なのかもしれない。御文はソースコードじゃないよ。民衆が読めないでしょw。ということで、たぶんJavaDocでも無い。記事ですよ、記事。特集記事や連載記事です。御文はお経でなく、手紙形式なんですね。この考えはすでにSeasarCon春のNPO社員総会&キーノートでしゃべっています。平成18年度事業計画の説明などの中で、二つの施策を説明しました。

  • 11月12日にSeasarCon秋の開催
  • Seasar.orgをWEBマガジン化する

これらは4月の月例理事会で議論した内容でした。まあ、理事会では仏教史の話はしてませんけどねw。


ということで、Seasar本願時説、おしまい。以下、過去ログリンクです。

次は御霊信仰でもやりますかね。。。Seasar北野天満宮説とでもなりますか。。。