-カルト

http://d.hatena.ne.jp/tksmd/20070626#p1
TBをいただいたので読み、染田さんのエントリとは離れたところで、自分の言いたかったことに戻って補足。
先日オブジェクト広場のインタビューにて話した「みんな能力の総和は100」というのはまったく科学的な根拠の無い話です。違和感を感じる人がいたり、納得して涙する人など様々な反応があったとしてもそれは前後や行間にその人なりの背景や持論が補完されて考察されていることでしょう。ですから、「〜です。少なくともそう信じることにします」というようにインタビューでは、自分では確実と思っていても、断定を避けるようにお話しました。こういう科学的根拠は無くても、信じたり、拒否したりするようなことは、論理というより宗教的なんだと思います。こういうものはつきつめて議論しても感情的なものになってしまいがちで、誘惑されつつも我慢して、シンプルに信じるか信じないかぐらいでとどめてよいことです。
国民の三大義務もそうだし、クレドとかもそう。働かなくてもいいよね、とか盗んでも人を殺してもべつに悪くない、としたらそれは理性の欠如というよりも道徳心の欠如で、つきつめれば宗教に欠けていると言えるのではないでしょうか(何で良いのか悪いのか考察することはとっても大事なのは言うまでも無いことですが)。お客様第一、というのもひねくれた私は「本当にそうか?」と小一時間問い詰めたくなったりします。そこに本質としては科学はないと思うのですよ。禅問答としたなら、だからこそ大事なんでしょうけどね。
そんな中、自分を含む、プログラマーという職業を選択し、またそれに誇りを持ってるような人達には特に、何か相応な宗教が求められているのではないかと思います。そして、多様化してしかも情報にあふれるこの環境ではあるていど単純化されて普遍的なものはなかなか出現せず、プロファイルを共有する少数グループにて信じられるカルトが勇気を与えたり、病を癒したりするのです(と、あえてここでは本意ならずとも断定しておきます)。
今、自分が代表を任じつつも歯がゆいように思うのは、Seasarファウンデーションとその傘下プロジェクトそれぞれに、このカルトが薄まってきているような気がしてならないのです。圧倒的に、無条件に、おもわず笑ってしまうような意表の突かれ方だったり、ほっとできる優しさだとか、そんな諸々の何か信じられたり、もしくは思わず反発してしまうようなものが足りないように思います。Seasarが普段いじられるのに、つまらんゴシップばかりじゃ、それはたいしたことねーな、と。任期もあと2年もあることですから、それまでには今は何かもやもやしているものを掴んで、良い方向で実現したいと思うのですが。。。単にキャッチフレーズみたいなものでもいいかもしれませんね。カルトな何か、です。染田さんにフューチャーリスト宣言の言うところだと紹介された「楽しくてしょうがない」。もしこれが2人以上で共有できるのであれば、十分にカルトでロックでハックなんだと思います。
Ashikunepは「漢」として一見馬鹿げたことをしようと計画していて、ひそかにカルト性は持ちえるのではないかと値踏んでますが、まだ何も成しえてないので発言権が無い。6月末に予定していたものも、産みの苦しみで、やや遅れそうです。7月末までには高いレベルでなんとかなりそうと予想はしていますけれども。