-Tiemann的大乗OSS

そうとは言わなかったけど、前後の様子から、Tiemann氏にはコミュニティ形成上もしくは運営上の問題は、コードの問題と同じようにオープンにしていれば出来るヤツが現れる、という楽観的な考え方が基本にあるように思います。で、これは私も思う。正しい。まさに大乗的しかも弥勒的です。
よく言うよね、出来るヤツが少ないとか。やる気があるヤツが少ないとか。目に見える尺度として少ないのは人数なんですが、それも割合の問題なんだと思います。バザール論の根幹について再度議論を待たずとも、総体としての人数がデカくなりゃいいのよ。問題解決ができる&やるという人は希少な存在で、いわば変態だから求めて現れるもんでもないのではないか。たくさんの人間が集まればその中でいつか出てくるという社会契約論なんですよ(違。みんなで南無阿弥陀仏と唱えていりゃいい。GNU C++コンパイラを書いて後、知的財産権についての取り組みを大企業巻き込んでキャンペーン主催し続けるなんてタマはそこらにゴロゴロいないって。これは地政学的問題でなく、統計学的問題ですよ。「アメリカはOSSに理解があっていいなぁ」とかいうのは的外れ。「Fedoraは莫大なユーザー基盤があるから、本当にバザールが形成されちゃうのね、ふーん」という方が芯を食ってる。
一方でコミュニティの目立つところにやる気がないヤツが居座っちゃいかんね。自戒よりそう思う。オープンじゃなく淘汰がおきない序列世界にしちゃうと、変態が変態のままで引きこもっちゃう。だから無理をしなくていいんだ。気楽にやりゃあいいんだということを、FedoraにおけるRedhatの縮小傾向の説明を聞きながら考えていました。