-富

昨日、飲んでいての話題。オープンソースソフトウェアコミュニティは富の総和の増大を目指すとともに、富の偏在の防止をおこなっている、という。羽生さんと話をしていたので、共通のボキャブラリから「富」になりましたが、「幸せ」というほうが多くの方には無難な言葉かもしれません。必ずしも同義でない別の言葉なのですが、差異は些少。
これまで「金の匂い」という言葉で話題にしてますが、そういう言葉の嫌いな方向けにもっとソフトな言い方をすればまさにこの「富の総和」、もしくはさらにソフトに「幸せの総和」と言えましょうか。「幸せの総和が増大しないように思える」というのがいけないと常々考えています。
一方で、楽観的な誤解をされたくないので言及すると、幸せは均等分割されません。もっというと分割されることすらない。関わりさえすれば幸せになるのではない。関わったことをきっかけに、自分で努力して幸せになるのです。幸せになったとき、自分の幸せを、幸せの総和に加算した結果、幸せの総和が増大し、その中ではお金につながることもあるのだと思います。
私は哲学も宗教も無いので整然とした理論を持ちませんが、直感的には「自己充足」「名誉」「お金」かなと。Seasarファウンデーションに関わる方々がそういったものへの経験が極大になることを望みます。そうすれば私も関わる者として幸せになれるでしょう。
オープンソースソフトウェアは寡占することが不可能な構造のため、その幸せが一極集中するわけがない点で、とても有利な点があると思います。憎むことも、あきらめることも、無視することもなく、皆が適切に健全な取り組みがしやすいのではないかと希望が持てるのです。